ハノマンの旅は道連れ HOMEOtherAsia>ウブドゥの思い出

ウブドゥの思い出 (83’9月)
ハノマン誕生

クタで泥棒にあった私は、そのときお金を貸してくれた旅行者サカモトさんとウブドゥに行った。彼の知り合いがいるらしい。
ウブドゥの中心からちょっと歩いたところに”JALAN HANOMAN"ハノマン通りという道がある。そこを奥に入っていったところに”IBU MASHI"と言う宿がある。そこでサカモトさんの友達アキラと会った。
彼が名前を聞くので、「オーストラリアでは”ノーマン”呼ばれてた」と言うと、「ヒンドゥー教の猿の神様で”ハノマン”というのがいて、バリの人みんな知っている人気者だよ」と教えてくれた。それはいい名前だと思った私は”ハノマン”と名乗るようにした。
実際「私の名前はハノマンだ」とインドネシア語で言うとみんな(特に子供)にとてもうけていた。

その宿”IBU MASHI"のIBUというのはおばさん、MASHIというのは名前、つまり「マッシーおばさん」という意味だ。そのマッシーおばさんは踊りの先生でもあり、日曜日になると子供が踊りを習いに来てた。※1
お金を取って教えているのではなく、伝統芸能の踊りを近所の子に教えているだけなのだ。
バリの踊りは有名、特にここウブドゥはその中心なのである。カセットテープで音楽を流し、マッシーが前で踊る。まだ小学校にも行ってないような小さな子が真剣な表情でその踊りをまねしている。ちょっと年上の女の子が手の形、足の位置などを直してあげる。
ああこんな感じでバリの踊りは引き継がれてきてこのまま引き継がれていくんだなあと感じた。

アキラもマッシーに踊りを習ってた。私にもちょっとやってみれば?と言うので私も習ってみることにした。難しい踊りは覚えるのが大変なので、ケチャックダンス※2の中で出てくる”ハノマン”の踊りを教えて貰うことにした。
でも実際やるとなると難しい。手の指先。足の先まで神経を巡らせなければいけない。また足も中腰になりその体勢をキープするのはとても大変だ。30分もやっていると汗だくになってしまう。

夜は毎日どこかで踊りをやっている。
ウブドゥの町の町内会ごとに、この地区は何曜日にこの踊りという感じにやっていた。マッシーの地区はケチャックダンスをやってた。夕方になると、マッシーの家に踊り子の女の子が着替えにやってきてた。いつも小さな子に教えてたあの子達だ。
まだ幼さを残した顔でも化粧をして着替えると何とも言えない美しい子に変わる。マッシーの旦那さんも息子もケチャに参加するために着替えて出てくる。この町は”踊り子”というのではなく誰もが日常的にやっている神様への奉納の舞いの儀式を観光客に披露しているだけなのである。
普段そこら辺で会うと何気ないだらだらした親父、普通の女の子がいざ踊りが始まると豹変してしまう。何とも言えない気迫さえも感じる。その変わり身に”こいつらただモンではない!やはりこの島には神様が居る!”と感じさせられるのである。でも踊りが終わってまただらしているとやはり普通の人達なのだ。

みんなで夜踊りを見てそのあとにご飯を食べ宿に帰る。帰り道によく蛍が飛んでいた。ウブドゥの町のまわりは田んぼだらけなのだ。宿に帰り虫の声を聞きながらみんなと今日の踊りの話をしてた。

結局、ウブドゥに10日ほど滞在し、ひととおり踊りを見た私は、思い出の詰まったウブドゥとそして友達と別れ、ジャカルタに向かったのである。そのときにはクタ※3であったいやな泥棒の事もすっかり忘れ、「ああ、また来たいなあ」と素直に思えるようなっていた。

  ※1 踊りを習う子供達 
      踊りの発表会
  ※2 ケチャックダンス
  ※3 クタの海

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ハノマン@沈没旅行者