ハノマンの旅は道連れ HOMENote>永遠の旅

永遠の旅
旅行中に不慮の事故にあった友達が居る。彼らは帰らぬ永遠の旅に出たのだ。

アキラ君の場合

彼とはゴアで会った。
カルカッタであったガンジーさんを引き連れ初めてゴアにやってきたときである。アンジュナのバス停から歩いて家を探しやっと見つかった後、近くのレストランに行った。そのときアキラ君と友達がそのレストランにいたのだ。たまたま彼の部屋も近いと言うことで毎日彼が遊びに来ていた。一緒に海に行きご飯を食べそしてパーティーに。

その後、私が日本に帰ったら今度は私が彼の家のいそうろうになった。大学を卒業した彼は仕事に就いた。私も仕事を探すと偶然、彼の近くに会社の寮がありしょっちゅう行き来をしてた。結婚する前、妻ともよく遊びに行った。

そして私が妻と一緒に旅に出たとき、彼とバンコクで再会した。ちょうど子供をオーストラリアで産んでインドに行った後である。彼も仕事を辞めしばらく旅に出るのだ。「これからアフリカに行く」と彼は言った。夜一緒にご飯を食べに行きそして別れた。

彼の訃報を聞いたのはその数ヶ月後、友達の電話からだった。
アフリカのケニヤから旅を初め、南アフリカまで来た彼はたまたま知り合った日本人と南アフリカの中にある「レソト」という小さな国にレンタカーで出かけた。そしてその帰りハンドル操作を誤り事故を起こしたらしい。病院に運ばれた彼は意識を取り戻さずそのまま帰らぬ人になった。

その電話を聞いたあと私は一人彼のことを思いだした。いろいろ彼との思い出が頭の中を流れる。そして彼の顔を思い浮かべたときふっと頭の中に声が聞こえた。
「しゃーーない!」
それは彼が話をする時よく言ってた言葉だ。そう彼はすでに割り切っているみたいだ。
「死んだものはしょうがない、しゃーない」そう私も考えた。

その後彼のお母さんがインドのバラナシに行った。生前彼が母親に冗談で言ったらしい。「俺が死んだら灰をガンジス川に流して欲しい。」彼の友達がガイドをかねて付いていった。そして、船で川の中央に出て彼の灰をまいてきたのだ。

合掌




拓ちゃんの場合

拓ちゃんは原宿の表参道でアクセサリーを売ってる街売りだった。にぎやかなところはあまり好きでなく、端の方で売っていた。

初めてあったのはバンコクだった。
これから日本に帰って街売りを始めるのでその商品を仕入れに来たのだ。旅が好きで街売りを始める人も多い。彼もその一人。日本で街売りをしてる人と知り合い、いろいろ教えてもらったらしい。彼とよく夜のバンコクの街に出かけていった。

そしてその数ヶ月後、日本で友達と原宿へ行った。日本に遊びに来たイギリスの友達が原宿のダンシングストリートを見てみたいと言ったのだ。私が「友達が原宿で街売りをしてるらしい。」などと言っていると前を長髪で変な滑降した小柄な男が歩いてる。
「あっ、拓ちゃんだ!」偶然彼と再会したのだ。彼はこれから店を出しに行くとこだった。

それから私はちょくちょく仕事の合間に原宿に暇つぶしに出かけた。彼の街売り仲間の人とも顔なじみになった。街売りの人たちに混ざり通りを歩いている人を眺めているととても面白かった。たまにトイレに行っている間留守番を頼まれたりもした。「命の祭り」に行ったときも原宿の街売り連中がたくさん来ててとても楽しかった。

その数年後たまたま新聞を見たときだ。「中国、チベットのラサの近くで日本人死亡」
「中国の日本大使館に入った情報によると、チベットで日本人が車から放り出されて死亡した。」そしてそのパスポートが遠く北京の日本大使館に届けられそのことが解った。名前はH・拓也、住所は以前住んでた調布市となっていた。年齢もちょうどそのくらいだった。

その後何回か表参道に行ったけど、彼の姿はもう無い。その他の街売りの人も居なくなってた。警察がうるさくなって商売ができなくなったらしい。彼は日本を出るときアパートを引き払って旅に出た。彼の実家の住所は知らない。本当に彼なのか確認する手段はない。

合掌

Note
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ハノマン@沈没旅行者