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ハノマンハウス ブリスベン
その昔よりブリスベンにはワーキングホリディで来てた日本人が、自分のフラット(アパート)に旅行者を泊めてました。サウスブリスベン、ノースの館、セントルイスと続きてそしてハノマンハウス。(実はその3年前、ノースの館も私が友達とやっていたのです。)2ベットルームのフラットですがリビングだけで20畳はゆうにあり(しかしそこはオーストラリアの良いところ、家賃がとても安い。)窓からストーリーブリッジが見えるところに7人でシェアーしてました。
 
私はその一年前に日本を出てアジアを旅したあとのオーストラリアで、所持金も少なくなり、ペットボトルを造る工場に7時から3時まで働いてました。「シドニーのワーキングホリデーのオフィスで見ました」、「ケアンズのユースで張り紙を見たよ」、中にはエアーズロックでここの話を聞きましたという人もいた。ハノマンハウスのうわさは泊まった人のクチコミでどんどん広まり、ちょうど学生の卒業旅行と重なり連日たくさんの旅行者が訪れてました。 「今日は誰か来てるかな?」仕事から帰ってくるのが楽しみでした。夜の食事もだいたい私が作ってました。

大したものは出来ないけど白いご飯だけで感動してた人もいました。「味噌汁だー」とか「ご飯食べるの3週間ぶりだー」と。宿泊費の5ドルはほとんど食費に使ってました。(その時のおかげで料理には自信があります。)だから食後のアイスクリームも、ワインも飲み放題。ビールが1本75セントそれ以外は冷蔵庫のものすべて無料でどうぞ。

 毎晩ビール片手にみんなと旅の話、人生の話といろいろ盛り上がってました。またハノマンタクシーと呼んでた私の車で(ワゴンタイプで乗れば10人乗れた。)ブリスベンの町が見えるマウントクーサまでみんなでドライブ。(ほんとは今日来たかわいいあのこと2人だけで行きたかった・・・)週末の夜はおしゃれな服に着替え、ネオンかがやく街へ。また毎月誰かの誕生日だったので、近所の日本人の友達も呼んで友達のバースディパーティしたり。

85年の暮れにオープンしたハノマンハウスは3ヶ月で100人を越える宿泊者がありました。しかし惜しまれながらもその歴史の幕を閉じました。訳ありで私がオーストラリアを離れなければならなくなったのです。
泊まりに来てくれた人、ありがとう!

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はのまん@沈没旅行者